【個人も組織も対話を】

コミュニケーション

アプローズの坂下です。
最近、対話が足りないと思うことや、対話があればその誤解が解けるのでは
と思うことがありました。まずはプライベートでの話。

「あの人嫌い」

急に飛び出した友人の言葉に驚きながらも、理由を聞くと直接何かあったわけ
ではないとのこと。ただ、「らしいよ」という語尾から察するに、その方が
人づてで耳にした、尾ひれはひれがつきまくったエピソードで、よくないイメージが
あるんだろうなと。

「何で本人に直接聞かないんだろう」、純粋にこう思いました。

相手の人となりを知ることで、その誤解は解け、嫌いだった相手が、
実はとてもよき理解者であるかもしれないのに。

すこし勿体ないなと思っています。

仕事でもありました。Aさんは「あの人は堅物だ!」と吠える一方、
反対側にいるBさは「あの人は強引だ」と嘆く。

人の価値観や大切にしている思いはそれぞれ。思い立ったら即行動できる人もいれば、
石橋をたたいて渡ったけど途中まで行って引き返す慎重な人もいる。

自分が正しいと思うストライクボールは、相手にとってのデッドボールかもしれない。
このやりとりを続ける限り、痛いキャッチボールは終わることなく、意見も関係性も
永遠に平行線のまま。

これは「何でそう思うのか」や、「どうしたら一歩進められるか」など、
お互いに言葉の後ろにある「思い」を聴いてみたらどうでしょう。

そうすることで、その発言の意図やその人の価値観、その人の大切にしていることをも
一緒に引き出せることができるのではないでしょうか。

対話をすることで、エピソードに挙げた方たちの怒りやモヤモヤは軽減され、
目の前の相手との関係性が変わり、出来なかったことが実現する。
出来ないことも「どうすれば出来るか」を一緒に考えられるのではないでしょうか。

個人も企業ももっと対話を。これは私はもちろん、「コミュニケーションで組織を変える」
を掲げるアプローズの思い。代表の趙は現在、明治大学の講座で「対話力実践講座」を
開催中です。

余談ですが、高校野球で見られる、キャッチャーがピッチャーマウンドに駆け寄って
声をかけ、肩を叩く。あの姿にぐっとくるのは短い時間で思いをひとつにしようとする
対話の瞬間を目の当たりにするからでしょうか。

って何でもかんでも対話にかこつけすぎ?

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